著作権法はこのままでよいのか?
前稿では現行の著作権法の中からプログラムの保護に関する条文を抜き出し、それぞれを事実として確認した。
タイトルはちょっと過激だが、今回はプログラムを保護していくために現行著作権法が持つ課題を明らかにしていきたい。
そのため、まずは我が国の現行の著作権法の体系が直感的にわかる表を掲載しているサイト(公益社団法人著作権情報センター)を以下に紹介する。 (http://www.cric.or.jp/qa/hajime/hajime2.html)
著作権法は美しい?
それが下記の表で、著作者、著作人格権、著作財産権の3つの観点から整理されているがいかがだろうか?
財産権が対象物により枝分かれているのが少し気にかかる程度で、全体としてはいかにもそれらしく見える。
著作者の定義
著作者 | 著作物を創作した者をいう。 共同著作物については、共同で創作に寄与した者全員が一つの著作物の著作者となる。 |
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法人著作(職務著作) | 法人著作(職務著作) 次の要件を満たす場合には、法人等が著作者となる。 (1)法人等の発意に基づくもの (2)法人等の業務に従事する者が職務上作成するもの (3)法人等が自己の名義で公表するもの (4)作成時の契約、勤務規則に別段の定めがないこと |
著作者人格権
公表権 | 自分の著作物で、まだ公表されていないものを公表するかしないか、するとすれば、いつ、どのような方法で公表するかを決めることができる権利 |
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氏名表示権 | 自分の著作物を公表するときに、著作者名を表示するかしないか、するとすれば、実名か変名かを決めることができる権利 |
同一性保持権 | 自分の著作物の内容又は題号を自分の意に反して勝手に改変されない権利 |
著作権(財産権)
複製権 | 著作物を印刷、写真、複写、録音、録画などの方法によって有形的に再製する権利 |
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上演権・演奏権 | 著作物を公に上演したり、演奏したりする権利 |
上映権 | 著作物を公に上映する権利 |
公衆送信権・公の伝達権 | 著作物を自動公衆送信したり、放送したり、有線放送したり、また、それらの公衆送信された著作物を受信装置を使って公に伝達する権利 *自動公衆送信とは、サーバーなどに蓄積された情報を公衆からのアクセスにより自動的に送信することをいい、また、そのサーバーに蓄積された段階を送信可能化という。 |
口述権 | 言語の著作物を朗読などの方法により口頭で公に伝える権利 |
展示権 | 美術の著作物と未発行の写真著作物の原作品を公に展示する権利 |
頒布権 | 映画の著作物の複製物を頒布(販売・貸与など)する権利 |
譲渡権 | 映画以外の著作物の原作品又は複製物を公衆へ譲渡する権利 |
貸与権 | 映画以外の著作物の複製物を公衆へ貸与する権利 |
翻訳権・翻案権など | 著作物を翻訳、編曲、変形、翻案等する権利(二次的著作物を創作することに及ぶ権利) |
二次的著作物の利用権 | 自分の著作物を原作品とする二次的著作物を利用(上記の各権利に係る行為)することについて、二次的著作物の著作権者が持つものと同じ権利 |
プログラム(情報)を本当に守ってくれるか?
しかしやはり気になるのは、この程度の粗さでは「プログラム」という言葉が出てこないことだ。 つまりこの体系のどこかにプログラムを保護するための条文を潜り込ませている、ということだ。
オープンソースライセンスの法的効力
様々なご議論がある中で、個人的にはオープンソースライセンスは「約款」と同等という認識を持っている。 従って法的な位置づけとしては「契約」(*1)に近いので少なくとも日本では「実現可能で,かつ強行規定や公序良俗に反しない」限り当事者間の自由意思で合意した内容は基本的に行使することができる(*2)ことが民法でも保障されている(民法 90条等)。
だとするとオープンソースのライセンサーは国際的にデファクトとなっているベルヌ条約や各国の著作権法等で規定されている強行規定(例えばDRMなど)に反しない限り、ライセンス(約款)という形で著作権者としての権利を行使することができることになる。
(*1)「契約」(いわゆる「法律行為」)
民法上のルールの優先順位としては、「強行規定>当事者の意思表示>慣習>任意規定」となっているので強行規定や、憲法でも禁止されている「公序良俗に反する行為」でない限り、当事者の意思表示、更に当事者間の合意に元ずく意思表示である「契約」はその範囲において自由に締結することができる。
ここで「強行規定」とは本人の意思表示に関わらず優先的に適用される規定で、例えばいくら当事者間で合意したからと言って「麻薬を作ろう」とか「賭博をやろう」という「契約」をしたとしても、それらは無効となる、のみならずそれを実行してしまうと刑事罰が待っていることになる。
(*2)強行規定と任意規定
最もソフトウェア情報センター(SOFTiC)主催のセミナーで確認したところ、日本の著作権法が強行規定なのか任意規定なのかの決着がついてないという回答を得た。
「大変なことを平気でいうもんだなあ」というのが第一印象だったが、継子扱いされているように見えるプログラムの著作権法が強行規定だとするとOSSのライセンス条項の中には少なからず無効となものが出てきてしまう。
このあたりのことを、当局はどこまで真剣に考えているのだろうか?
プログラムの保護
日本の著作権法がプログラムの保護を取り入れたのが1985年、著作物の対象としては最後に追加されたわけだが、これは(著作物の例示)の第十条を見ると明らかだ。
前々回の稿で紹介したように、IBMスパイ事件をきっかけに日本政府もプログラム保護に関して個別法を検討していたようだが、米国からの圧力によりベルヌ条約に加入している日本の著作権法で保護することになったとされている。 ちなみに著作権の登録制度(方式主義)をとっていた米国がベルヌ条約に対応したのは1988年。
オープンソースと著作権法
さていよいよ日本の著作権法とオープンソースライセンスの相性を検証するため、オープンソースライセンスの中心的な論点である以下の3つの権利を検証していこう。
- 改変権
- 複製権
- 頒布権(再頒布権を含む)
①改変権
改変権に関しては著作人格権の中の「同一性保持権の特例」という形をとっている。 その条文を以下に引用する。
第二十条 第二項の第三号、第四号
ここで認めている改変権は「特定のコンピュータで動作させるための改変、より効果的に利用するための改変、目的、態様に照らしてやむを得ない改変」のみ認めているにすぎない。 法律の条文はいかようにも解釈できるという考え方もあるが、プログラムの改変権を「同一性保持権」の特例として扱っていること自体に疑念を抱かざるを得ない。
少なくとも今や経営の迅速化に欠かせないオープンイノベーションを支える有効な手段としてのオープンソースソフトウエアの利用を積極的に意識しているようには見えない。
ベルヌ条約でもそうであるように日本の著作権法では著作した時点で著作人格権が発生し、更に本人の意思がどうであれこれを放棄することはできない。
どうしても放棄したい人にせいぜい残されているのは「保持するが行使しない」という選択肢だ。
これに関連してよく勘違いされるのが「パブリックドメインソフトウエアは著作権が放棄されたソフトウエアだ」という都市伝説(?) 何度も言うようだが、本人がなんと主張しようと少なくとも日本では著作人格権は放棄できないのだ。
それにしても、文学や芸術の話ならともかく、オープンソースを利用するうえで最も重要な権利の一つを著作者の自然権の特例としての規定しかできてない法律ではIOTとか第四次産業革命とか言われている激動の時代にマッチしているとは言えないのではないだろうか?
1. 複製物利用する場合には、自らの電子計算機において利用することを目的にする場合に限り当該著作物の複製することができ
所感
だとすると、プログラムの保護に対して著作権法の果たす役割はいったいどのようなものなのか、疑いたくなる。
そこで提案なのだが、
- 少なくとも文学、美術、映画等、本質的に性質の異なる条文からは独立させ、プログラムの著作権として完結させる(個別法の新設はまた別の議論になる)
- ベルヌ条約に従い無方式主義(著作物を作成した時点で著作者に著作人格権が発生する)を明確にする。
- 強行規定を明確にする。
プログラムを公開するときのライセンスのひな型は修正BSD/MIT、MPL、APL、GPLなど豊富にあり、しかも著作者自らが新しいライセンスを主張することも可能となるので今よりはスマートになるのではないだろうか?
2016年8月17日